物語の中で、ソウタの母が語る言葉は多くない。けれどその存在は、カイの人生を静かに反転させてしまう力を持っていた。丁寧で穏やかな言葉は、カイに彼の居場所静かに突きつける。本記事では、高校から大学まで、学生時代のカイに焦点を当て、短い言葉が彼の感情をどう変え、なぜ「姿を消す」という選択へと至ったのかを紐解いていく。
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「伝えない」ことで守った関係――高校時代のカイが選んだ立ち位置
高校時代、ソウタの家に泊まった翌朝。朝食をとるカイに、ソウタの母が静かに語りかける。「ソウタね、カイくんといると、なんかおかしいの。いつものソウタじゃないみたいなの。ソウタ、一人っ子だから……」柔らかな口調だった。責める言葉でも、怒る言葉でもない。けれどその一言は、高校生のカイにとって十分すぎるほどの衝撃だった。自分がソウタに与えている影響の大きさと、それが“歓迎されていない”ということだけは、はっきりと伝わってきた。この気持ちは、隠さなければいけない。好きだと知られてはいけない。そう思うには十分すぎる出来事だった。
ソウタの母の言葉を受けて、カイははっきりと理解する。ソウタに、自分の気持ちを気づかれてはいけない。それは命令でも脅しでもなく、この関係を続けるために、自分が引き受けるべき条件のように思えた。好きだという感情をなかったことにはできない。けれど、それを言葉にしてしまえば、ソウタとの時間そのものが壊れてしまう気がした。だからカイは、「親友でいる」という立場を選んだ。距離を取ることでも、離れることでもなく、いちばん近くにいながら、踏み込まない場所を選んだのだ。
大学生になった頃のカイを思い起こすと、彼の恋愛への向き合い方には、どこか余裕すら感じられる。それがよく表れているのが、“イヤホンのエピソード”だ。音楽を聴いているソウタのイヤホンをふいに外し、「ラブソングか。好きなやつでもいんの?」と問いかける。それは、さぐりだったのかもしれない。けれど同時に、自分がソウタの恋愛領域に一切関わってはいけない、という感覚ではなかったことも確かだ。踏み込みすぎるわけでもなく、完全に距離を取るわけでもない。冗談めかした口調の奥に、まだこの場所にいていい、という手応えがあった。好きでいることは否定しないまま、「伝えない」という選択だけを引き受けていた。
銭湯で、曲作りについて話す場面もそうだ。「曲を作るとき誰かを思い浮かべたりすんの?」というソウタの問いに、家族の話をするカイ。そこから「じゃあラブソングのときは?」と続けるソウタに対して、カイは言葉では答えない。けれど、あのときの空気は、“タイミングさえあれば言ってしまいそう”な危うさを孕んでいた。目線も、間も、沈黙も、すべてがそう語っている。カイはソウタから離れていたわけではない。ただ、言葉にしてしまわない距離に、静かに立ち続けていた。
だからこそ、タイでソウタと再会し、カイチアウを作りながら高校時代のソウタ家でのお泊まりを振り返るカイは、どこか楽しそうに見える。ソウタの家を出た帰り道のことを、カイは「なんだか泣きたくなった」と振り返っている。それは、牽制されたからというよりも、ソウタと過ごした時間が、あまりにも楽しかったからだ。楽しすぎた時間が終わってしまうことへの寂しさが、胸に残っていたのだろう。あの夜は、牽制された記憶であると同時に、カイにとって確かに幸せだった時間の記憶でもあるのだ。一度目の牽制は、カイから居場所を奪ったわけではなかった。引かれたのは、「踏み込んではいけない」という線だけで、そばにいることまでは否定されていなかった。その“理解の余白”があったから、カイはまだソウタの隣にいられた。――そして、その余白が完全に消える瞬間が、次の牽制として訪れる。
「そばにいることすら許されない」と理解した瞬間――二度目の言葉が示した答え
大学生になり、カイはソウタ、ヒカリと並んで、穏やかな日常を過ごしていた。ある日、キャンパスを歩いていると、向こうから見覚えのある人物が歩いてくる。ソウタの母だった。高校時代、あの朝以来の再会だったのかもしれない。ソウタの母は、確かにカイの存在に気づいている。けれど、カイと目を合わせようとはしなかった。その代わり、ヒカリに向かって声をかける。「ますます綺麗になって」「ヒカリちゃんに傘を持たせちゃだめよ」まるで、ソウタとヒカリが並んでいる光景こそが自然だと言わんばかりに。
カイには、何も言わない。けれどその態度は、はっきりと語っていた。ソウタの隣にいるべきなのは、あなたではない。ソウタが「覚えてる? カイだよ」と紹介して、ようやくソウタの母はカイのほうを向く。そこで発せられたのが、あの一言だった。
「まだ、ソウタと仲良くしてくれてたんですね」言葉自体は丁寧だった。けれどそこには、距離を縮めようとする気配が一切なかった。ヒカリにはタメ口で話す一方、カイには敬語。その違いは偶然ではなく、明確な線引きだった。
高校時代には、まだそこまで理解しきれなかったことがある。けれど大学生になったカイには、その一言の意味がはっきりと分かってしまう。自分は、ソウタのそばにいる存在として認められていない。それも恋人としてではない。友人として隣にいることすら、歓迎されていない。一度目の牽制が「気持ちを伝えてはいけない」という制限だったとしたら、この二度目の言葉は、もっと残酷だった。
――そばにい続けてはいけない。
――関係を続けることそのものが、許されていない。
だからこそカイには、逃げ道がなかった。これまで積み重ねてきた時間も、共有してきた感情も、すべてが「まだ仲良くしてくれてた」という過去形の中に押し込められる。そこに、これからも続いていく関係の余地はなかった。その瞬間、カイは悟ってしまう。
自分はこの先、ソウタの隣に“親友として”立ち続けることすらできないのだと。
だから、姿を消した。
それは逃げではなかった。気持ちが冷めたからでも、諦めたからでもない。一度目の牽制でかろうじて残されていた居場所が、この二度目の言葉で完全に失われてしまっただけだ。カイは、ようやく理解してしまった。自分の居場所は、ここではないということを。一度目の言葉は、カイに「伝えてはいけない」という距離を教えた。けれど同時に、そばにいることまでは否定しなかった。好きだという気持ちを胸にしまい込みながらも、親友として隣にいる道は、まだ残されていた。けれど二度目の言葉は違った。それは感情の問題ではなく、立ち位置の問題だった。どんな関係であっても、ソウタの隣に立ち続けること自体が、許されていないと理解させるものだった。
だからカイは、姿を消した。誰かを責めるためでも、関係を壊すためでもない。自分がいなくなることでしか、この現実を引き受けられなかったからだ。カイは二度の言葉を通して、段階的に理解してしまった。一度目で「想いを隠すこと」を学び、二度目で「居場所がないこと」を悟った。その理解の先に残された選択が、“ここから消える”という静かな決断だったのだ。
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