『10DANCE』で描かれるダンスは、振付を見せるためのものではない。相手の呼吸を読み、距離を測り、身体そのもので語り合うような踊りだ。竹内涼真と町田啓太。同じダンスに向き合いながら、まったく異なる身体を持つ2人が組むことで、この作品は、言葉より先に“踊り”で感情を伝えてくる。本稿では、2人の人物描写を手がかりに、竹内涼真と町田啓太がどのようにダンスと芝居で対照性を立ち上げているのかを見ていきたい。
正反対の踊りが、交わる瞬間──2人のダンサーの出会い
競技ダンスには、大きく分けて二つのジャンルがある。情熱的で身体の解放が求められるラテンと、型と精度が問われるボールルーム。「10ダンス」とは、その両方を踊りこなし、総合力で競う競技だ。ラテンダンス日本チャンピオンの鈴木信也は、世界に通用する実力を持ちながら、国内の大会にこだわり続けているダンサーだ。感情がそのまま身体に表れるような踊りは、見る者に強い熱を残す。
一方、ボールルームダンス日本チャンピオンで、世界大会2位の実績を持つ杉木信也は、完成度の高い踊りで“完璧なチャンピオン”と称される存在だ。だが鈴木は、杉木のダンスに、決定的に欠けている何かを感じ取っていた。そんな鈴木の前に現れた杉木は、「10ダンスでチャンピオンを目指さないか」と持ちかける。無謀とも言えるその提案に、鈴木はいったん背を向ける。だが、闘争心を煽る杉木の挑発に乗り、2人は互いの得意分野を教え合う関係へと踏み出していく。
ラテンを鈴木が、ボールルームを杉木が教える。以後、杉木ダンススクールでのレッスンの日々が始まり、それぞれのパートナーとともに、異なるダンス観をぶつけ合う時間が積み重ねられていく。身体を解放することに長けた鈴木と、身体を制御することで完成度を高めてきた杉木。この対照性は、設定として説明される以前に、2人の佇まいそのものから、はっきりと伝わってくる。

鈴木信也を演じる竹内涼真は、これまで正統派で誠実な役柄の印象が強い俳優だ。だが本作での鈴木は、そのイメージを軽々と裏切ってくる。感情に素直で、衝動的で、どこか荒々しい。理屈よりも先に身体が動き、思ったことがそのまま踊りに滲み出るようなダンサーだ。その奔放さは、ダンスにもはっきりと表れている。大きく踏み込み、勢いのままに身体を解放する。決して雑ではないのに、理屈よりも熱が先に立つ。竹内の身体から放たれるダンスは、計算よりも衝動に突き動かされているように見える。
一方の杉木信也は、鈴木とは真逆の場所に立っている。町田啓太が演じる杉木は、一挙手一投足がきっちりと整えられ、感情を表に出すことがほとんどない。ダンスにおいても、型が完全に身体に入るまでは、音楽すらかけない。まず身体を支配し、そこから初めて踊りを成立させるタイプのダンサーだ。その性格は、セリフで説明されなくても伝わってくる。背筋の伸びた立ち姿、視線の置き方、動き出す前の一瞬の間。町田の立ち振る舞いだけで、杉木という人物がどれほど自己制御の塊であるかが、自然と理解できてしまう。

この作品のすごさは、「情熱的なダンサー」と「理知的なダンサー」という対比を、言葉で説明しすぎない点にある。佇まいと身体の使い方だけで、2人がどれほど対照的な存在なのかが、観る側に伝わってくるのだ。だからこそ、この2人が同じフロアに立った瞬間、空気が変わる。異なる身体、異なるリズム、異なる価値観。それらがぶつかり合うことで、『10DANCE』は単なる競技ドラマではなく、身体そのものが語り始める物語として立ち上がっていく。
踊りが先に、答えてしまう──ダンスで描かれる関係
『10DANCE』では、感情が言葉で説明されることがほとんどない。心情を吐露する長いセリフも、関係性を整理するモノローグもない。その代わりに置かれているのが、ダンスだ。ペアダンスという競技は、本質的に繊細だ。相手を信頼しなければ成立しない一方で、常に相手の動きを感じ取り、調整し続ける必要がある。どちらか一方が主導する、という単純な関係ではなく、呼吸や重心、わずかなズレを受け取りながら、瞬間ごとに役割が入れ替わっていく。
その揺れ続ける関係性を象徴するように、作中では、ある台詞が何度も繰り返される。「ダンスでは技術でも体力勝負でもない、愛を持って完成する」この言葉が示しているのは、ダンスが感情表現の手段になる、という単純な話ではない。むしろ、ダンスを極めようとすればするほど、相手の存在を無視できなくなっていく、という事実だ。呼吸を合わせ、重心を預け、相手のわずかな変化を感じ取り続ける。完成度を高めようとすればするほど、ダンスは一人では成立しないものになっていく。その過程で芽生えていく感情は、恋だと名指されることも、愛だと宣言されることもない。鈴木と杉木のあいだに生まれていくものも、言葉で確かめ合われることはない。けれど、踊りの密度が増すにつれて、身体の距離や触れ方が変わり、互いの存在が、ダンスそのものに組み込まれていく。
その繊細な距離の変化を、この作品は一度も言葉で説明しない。代わりに用いられるのは、ダンスと、俳優の身体そのものだ。竹内涼真が演じる鈴木信也は、距離を詰めることに躊躇がない。感情が動いた瞬間、そのまま身体が前に出る。踏み込みは大きく、触れ方は率直で、相手との間にある空気を、自分の側から壊していくような踊り方をする。芝居においても同じで、迷いも衝動も隠さずに表に出し、距離を縮めるスピードそのものが、鈴木という人物を形づくっている。
一方の町田啓太が演じる杉木信也は、距離を詰める前に、必ず一度立ち止まる。近づいているように見えて、実は最後の一歩を残し続ける。触れ方は慎重で、間合いは常に計算され、視線や立ち位置によって、わずかな変化だけを積み重ねていく。芝居でも多くを語らず、動かないことで、逆に距離の変化を際立たせる。
同じ「近づく」という変化を描きながら、2人のアプローチは、驚くほど正反対だ。だからこそ、並んで踊る場面では、その差異がより鮮明になる。前に出る身体と、留まる身体。開いていく動きと、制御された動き。その対比が、関係性の変化を、言葉以上に雄弁に物語っていく。
『10DANCE』が心に残るのは、距離が縮まっていく過程だけでなく、その先に生まれる変化までを、ダンスと芝居だけで描き切っているからだ。同じ距離を目指しながら、まったく違う方法でそこへ辿り着こうとする。竹内涼真と町田啓太の演技は、その対照性そのものが、この作品の感情を形づくっている。
『10DANCE』は、関係性を言葉で定義しない。距離が近づいた理由も、その行き着く先も、はっきりとは示されない。ただ、踊りの密度と、佇まいの変化だけが、確かにそこに積み重なっていく。異なる身体を持つ2人が、同じフロアに立ち続けること。その選択そのものが、この物語の核心なのだと思う。それが『10DANCE』を、観終わったあとも身体の奥に熱を残す、強い余韻を残す作品にしている。
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