静かな余韻を残すロマンスが、ひとつ誕生した。韓国ドラマ『恋の通訳、できますか?』は、「通訳」という役割を物語の中心に据えることで、言葉が“足りない”状況そのものを恋の駆動力に変えていく作品だ。さらに本作は〈ドラミ〉という存在を通して、「感情の翻訳」というもう一段深いテーマへと踏み込んでいく。本稿では、『恋の通訳、できますか?』がどのようにして二人の恋の行方を描いたのかを紐解いていきたい。
通訳という名の「盾」──あえて訳さない選択をするホジン
売れない女優だったチャ・ムヒは、B級映画への出演をきっかけに思いがけず注目を浴びる。撮影中の事故で眠っている間に作品がヒットし、目覚めたときには、作中の役名〈ドラミ〉として、一躍スターになっていたのだ。生活が一変したムヒは、恋愛リアリティ番組「ロマンティック・トリップ」への出演を決め、海外ロケに参加することになる。ロケには、下積み時代に江ノ島で知り合った通訳士チュ・ホジン、そして日本人俳優・黒澤ヒロも参加。言葉も立場も異なる三人は、異国の地で向き合いながら、それぞれの距離を少しずつ変化させていく。
『恋の通訳、できますか?』の大きな魅力のひとつは、通訳という存在を「言葉を機械的に置換する人」ではなく、「感情の衝撃を受け止め、ろ過するフィルター」として描いている点にある。
その象徴的な場面が、ムヒとホジンが初めて出会う江ノ島のシーンだ。浮気した恋人を追って日本まで来たムヒは、彼が働く飲食店で“今の彼女”と対峙することになる。翻訳アプリでは、怒りや悔しさといった感情をうまく言葉にできない。追い詰められたムヒが頼ったのが、その場に居合わせた通訳のホジンだった。

ここでホジンは、ただ言葉を置き換えるのではない。相手の言葉をどう届けるか、どこまで渡すかを瞬時に判断し、ムヒが必要以上に傷つかない距離を保とうとする。彼は通訳という立場を使い、言葉の温度を調整することで、ムヒが不当に傷つくのを防ぐ「盾」となったのだ。
さらに印象的なのは、咄嗟に“彼氏のふり”をする選択だ。真実を説明するよりも先に、ムヒがその場で惨めな立場に立たされないことを優先する。真実よりも「今、誰を守るべきか」を優先するホジンの静かな介入が、ずるいほど格好いい。
この構造は、物語が進んだ先でも繰り返される。恋愛バラエティ番組「ロマンティック・トリップ」で、共演者ヒロがムヒに向けて投げる棘のある言葉。そのまま訳せば、場の空気もムヒの心も冷えてしまう。ホジンは、通訳という立場を使って言葉の温度を調整し、感情が直接ぶつかるのを防ぐ。彼がしているのは、嘘をつくことでも、現実を歪めることでもない。“今この瞬間、誰が傷つく必要があるのか”を考え抜いたうえでの、静かな介入なのだ。
通訳がいるからこそ、感情はそのまま刃にならず、恋はゆっくりと形を持ちはじめる。本作は、そうした「翻訳されなかった言葉」によって、ムヒとホジンの距離が少しずつ縮まっていく過程を、丁寧に描いている。
もう一人の通訳者、〈ドラミ〉という本音
そしてこの作品を語る上で外せないのが、〈ドラミ〉の存在だ。ムヒの前に〈ドラミ〉が現れ始めるのは、彼女の人生が急激に変化してからだ。売れない女優だった日々から一転、B級映画のヒットによって注目を浴び、生活も、人の視線も一変する。喜ばしいはずの成功の裏で、ムヒの心はその速度についていけていなかった。やがて彼女は、ゾンビ役として演じたはずの〈ドラミ〉の幻覚を見るようになり、戸惑いと不安を抱えることになる。そして、のちに〈ドラミ〉の存在が、幼少期のトラウマに深く関係していることが明らかになっていく。
正直に言えば、ドラミという人格が前面に出てきたとき、それまで「通訳」という設定を活かしながら、言葉と感情のズレを丁寧に描いてきた本作が、この先どこへ向かっていくのか不安を覚えた。繊細な感情表現を積み重ねてきた物語が、別のジャンルへ逸れてしまうのではないか、と。しかし、その予感はすぐに裏切られる。ドラミは物語を壊す存在ではなく、むしろムヒという人物の核心へと踏み込むために、極めて誠実に配置された存在だった。
日本で幻覚症状が悪化し、病院に行くことになったムヒに付き添うのが、通訳のホジンだ。医師との会話を通訳する中で、ホジンだけが〈ドラミ〉の存在を知ることになる。この〈ドラミ〉という存在が、二人が関係性を築いていくうえで、決定的な役割を果たしていく。
ドラミは、ムヒが口にできない本音を、容赦なく言い放つ存在だ。ドラミは、ムヒが飲み込んできた「剥き出しの本音」を代弁する装置として機能する。中盤以降、ドラミは「ムヒの中のもう一つの人格」として、ホジンの前に姿を見せるようになる。最初は冗談や演技の延長だと思っていたホジンも、次第にそれが本気の“切り替わり”であることを理解していく。
👇️ヒロは〈ドラミ〉をどう思っていたのか

ロケ地として訪れたイタリアでは、ドラミは遠慮なくわがままを言い、感情のままに振る舞う。その姿に振り回されながらも、ホジンは彼女を制止することも、否定することもしない。ただ、そばで見守り続ける。ドラミが語る「ムヒがためらうことを、自分がやっている」という言葉は、この構造を端的に示している。ムヒが傷つくことを恐れて飲み込んだ感情、言葉にしなかった願い。それらを、ドラミは代わりに引き受けているのだ。言葉にできなかった願いをドラミが叫び、ホジンがそれを受け止める。この二人三脚のような関係こそが、実質的な「感情の通訳」なのだ。
思い返せば、最初の海外ロケ地・カナダで、ムヒは自分の気持ちに嘘をついた。ホジンが思いを寄せていたジソンが婚約破棄したことを知り、ホジンへの恋心を諦めるためだ。傷つかないための選択だったが、その結果、関係は一度こじれてしまう。しかしドラミという存在を通して、ホジンはムヒの本心を知っていく。言葉にならなかった感情が、別のかたちで現れたことで、ようやく二人の距離は正直なものへと近づいていく。
『恋の通訳、できますか?』が描くロマンスは、言葉を重ねて気持ちを確かめ合う物語ではない。むしろ、言葉にならない感情を、誰が、どう引き受けるのかという物語だ。ドラミはムヒの感情を代弁し、ホジンはそれを拒まない。ドラミごとムヒを受け止めていく、その姿勢そのものが、恋の進行を支える“感情の通訳”となっている。だからこそ本作のロマンスは、派手な告白よりも、静かな理解の積み重ねとして、深く胸に残るのだ。



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