映画『ほどなく、お別れです』──“ほどなく” に込められた三つの意味

邦画

葬儀の場で、静かに、何度も繰り返される一言がある。「ほどなく、お別れです」一見するとそれは、“もうすぐお別れの時間です”という、進行上の合図に過ぎない。だがこの言葉は、物語が進むにつれて、少しずつ意味を変えていく。『ほどなく、お別れです』という作品が示したこの言葉は、誰のために語られ、何を意味する言葉だったのか。本作が「ほどなく」という言葉に託した想いを、あらためて読み解いてみたい。

👇目黒蓮の「静寂に熱を宿らせる芝居」について

事務的な合図から、“区切り”を告げる言葉へ

劇中で繰り返される「ほどなく、お別れです」という言葉は、言葉だけを切り取れば、ごく事務的に聞こえる。葬儀の進行を担う者として、漆原が淡々と告げる決まり文句。「まもなくお別れの時間です」という事実を、簡潔に伝えるための合図に過ぎない。

けれど不思議と、その言葉が無機質に響くことはない。漆原が遺族に向ける視線や、間の取り方、声の抑え方からは、単なる進行以上のものが滲んでいる。言葉は最低限なのに、そこに冷たさはなく、むしろ慎重に感情を扱おうとする気配が感じられるのだ。

葬儀という場で、「もうすぐ終わります」という現実は、遺族にとってあまりにも重い。それを真正面から突きつけることが、どれほど残酷かを、漆原は分かっている。だからこそ彼は、多くを語らない。言葉を足さず、感情を煽らず、それでも必要な合図だけを、静かに手渡す。視聴者はこの時点で、はっきりと言語化はできなくとも、「この人は、ただ事務的に言っているわけではない」そんな違和感を、漆原の佇まいから受け取っている。

その感覚に、はっきりとした輪郭を与えるのが、美空の先輩・赤坂の言葉だ。赤坂は「ほどなく、お別れです」について、こう語っている。「漆原さん、それは単に“お別れの時間が来た”という意味ではなくて、行く人と送る人、それぞれの気持ちに区切りがつけられた合図なんじゃないかなって言ってたよ」

この一言によって、視聴者の中で点と点がつながる。だから漆原は、あの言葉をあの距離感で告げていたのか。だからこそ、事務的なはずの言葉が、どこか温度を帯びて聞こえたのか。「ほどなく、お別れです」は、漆原が遺族に向けて、静かに差し出していた“合図”だったのだ。

一方で漆原は、「区切りなど簡単につくものではない」ことを、誰よりも知っている人物だ。過去に最愛の妻を思わぬ事故で亡くした経験を持つ。永遠に続くと思われた幸せな日常が突然奪われたのだ。漆原は自身のこと「いまだに区切りをつけられない遺族のままだ」と語っている。大切な人を失った痛みは、時間が経っても消えないことを身をもって理解している。

それでも漆原は、葬儀という場で「区切り」を用意し続ける。それは、完全な終わりを与えるためではない。悲しみを終わらせるためでも、忘れさせるためでもない。ここで言う「区切り」とは、――これ以上、同じ場所に立ち尽くさなくてもいい、という合図だ。悲しみを抱えたままでもいい。答えが出なくてもいい。それでも、生きる時間は続いていく。その事実を、そっと現実として受け止めるための、最小限の線引きである。だからこそ「ほどなく」という言葉が選ばれているのではないだろうか。

「ほどなく」が示す曖昧な時間

「今すぐ」でも、「これで終わり」でもない。だが、永遠に先延ばしにできるわけでもない。曖昧で、不完全で、それでも前に進むためには必要な時間――その幅を示す言葉が、「ほどなく」なのではないか。

漆原が告げる「ほどなく、お別れです」は、遺族に対して“前を向け”と命じる言葉ではない。それは、「まだ悲しんでいていい、でも、ここから先へ進む準備は整いました」と、静かに知らせるための合図である。この言葉は、行く人のためだけに語られているのではない。むしろ、残される人がこれ以上悲しみ続けないために、ほんの一歩だけ現実へ戻るための、控えめなサインなのだ。

こうして「ほどなく、お別れです」は、単なる進行上の言葉から、“区切りを引き受けるための言葉”へと、その意味を変えていく。だが、この言葉が持つ意味は、まだ完成していない。漆原の中では、「区切り」は用意するものであって、辿り着けるものではないからだ。その未完成の言葉を、次に引き継ぐのが、美空である。

美空が語る「ほどなく、お別れです」は、漆原のそれとは少し違う。彼女はこの言葉を、終わりを告げる合図としてではなく、“再会までの距離”を示す言葉として言い換えてみせる。

「ほどなくお別れには、こんな意味も込められていると思うんです。向こうの世界で会えるまで、ちょっとの間のお別れです」この言葉が持つ力は、非常に静かだ。別れを否定するわけでもなければ、希望を声高に語るわけでもない。ただ、“永遠の断絶ではない”という解釈を、そっと差し出す。

ここで美空が示したのは、区切りを「つける」ことではなく、区切れないまま生きていくための、もう一つの視点だった。漆原は誰よりも、別れに区切りが来ないことを知っている。時間が経っても、悲しみは形を変えるだけで消えないこと。何度葬儀を執り行っても、自分の中の“あの日”は終わらないこと。だからこそ、漆原は知っている。本当の意味での「お別れ」など、存在しないということを。

それでも彼は、葬儀の場で「ほどなく、お別れです」と告げ続ける。それは矛盾ではない。むしろ、区切りが来ないことを知っているからこそ、“完全な終わりではない区切り”を、何度も用意するのだ。漆原にとっての「区切り」とは、悲しみを終わらせることではない。過去を置き去りにすることでも、前向きになることでもない。それでも、立ち止まり続けるしかなかった場所から、ほんの一歩だけ、足を動かすための合図である。

美空の言葉は、その漆原の思想を、さらに柔らかく包み込む。「ちょっとの間のお別れ」という表現は、別れを現実として受け止めながらも、関係そのものを断ち切らない余白を残す。それは、“死者はもうここにはいない”“でも、いなくなったわけではない”という、相反する感情を同時に抱くことを許す言葉だ。

区切りは、悲しみの終点ではない。区切りとは、区切れないままでも、生きていっていいという許可なのだ。「ほどなく、お別れです」という言葉は、忘れろとも、立ち直れとも言わない。ただ、“それでも、時間は続いていく”その事実を、やさしく差し出す。完全な区切りは、きっと来ない。それでも人は、生きていかなければならない。だからこの作品は、永遠でも、一瞬でもない「ほどなく」という言葉を選んだ。それは、いつかまた会えるかもしれない、でも今は別れなければならない、その矛盾を抱えたまま生きる人のために用意された、とても不完全で、だからこそ誠実な言葉だったのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました