『(LOVE SONG)』には、物語を静かに支える“太陽”と“雨”という強いモチーフが繰り返し登場する。カイが口にする太陽の比喩、ソウタと向き合う雨の日のシーン、そして終盤に残された一枚の“太陽の写真”。それらは単なるイメージ演出ではなく――カイがソウタに向けた想いそのものを語り続けていた。本稿では、太陽と雨が持つ象徴的な意味を軸に、カイが抱えてきた“希望”、そしてソウタへの深い愛を読み解いていく。
太陽と雨——カイの世界を照らし、そして遮り続けたもの
「(LOVE SONG)」を象徴するモチーフとして、映画の中で最も強い意味を持つのが“太陽”と“雨”だ。これは比喩ではなく、シーンのそのものがカイの心の動きを語っている。カイが言葉にする「太陽」、彼の部屋に置かれたひまわり、ライブシーンで差し込むオレンジの光。どれもが「カイを照らすもの=ソウタ」という意味を静かに孕んでいる。
学生時代から、カイはソウタとの会話の中で自然に太陽を語っていた。「俺の大好きな太陽」この言葉は感覚的な例えではなく、カイがソウタに向けてきた純粋な感情そのものだった。ソウタがそばにいるだけで、自分が“ここにいていい”と思える、自分の存在を肯定してもらえる——そんな体験を、カイはずっと太陽という言葉で表現してきた。
一方で、雨は必ずカイにとって“痛い日”として描かれる。高校時代、ソウタの母親に「カイくんといるとソウタが何か変なの」と否定された日。大学時代、再びソウタの母親と向き合わざるを得なかった日。そして現在、「二度と僕の前に現れないで」とソウタに言われた日。カイの胸が締め付けられる場面には、決まって雨の音が寄り添っていた。
だからこそ、あのセリフが鮮烈に響く。「空はひどいよな、時間になると俺の大好きな太陽を追い出してしまう」これはカイがずっと経験してきた、“自分ではどうにもできない力に奪われ続けてきた人生”の縮図だ。太陽そのものが消えてしまうわけではない。ただ、自分以外の要因——家族、世間、環境、価値観——そういった“雨”がいつも太陽の光を遮ってしまう。太陽は必ず昇るはずなのに、自分のところには届かない。そんな感覚が、カイの人生を覆い続けていた。照らされる瞬間もなく、ただ“夜”の中で生きるような時間だった。
“もう一度昇る太陽”を信じていたカイの本心
ソウタに「二度と僕の前に現れないで」と告げられた夜、雨は容赦なく降り続いていた。あの瞬間のカイの表情は、映画の中でもっとも痛々しい。これまでカイは、ソウタから一度たりとも“拒絶”されたことがない。想いに気づいてもらえないことはあっても、ソウタはいつも優しく受け入れてくれる。ただそれだけで救われていたカイにとって、あの言葉は胸の奥を深く抉るような痛みだった。そのまなざしには、拠りどころを失った子どもが必死に立っているような脆さが滲んでいた。泣きそうなのに、泣いてはいけないと必死にこらえる震え。そしてそのままヘルメットをかぶって顔を隠す。逃げたのではない。あふれ出しそうな本心を、これ以上ソウタに見せてしまえば壊れてしまう——そんな“防御反応”だった。あの場面のどしゃぶりの雨は、カイにとっての“最も深い絶望”が映し出されていた。
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一方、カイがライブで歌った「LOVE SONG」のラストは、「また来る朝を僕は信じてるから」で締めくくられる。ここ以外の歌詞は、ほとんどが「君に恋い焦がれているのに、叶わない」という切なさでいっぱいだ。だが、最後のたった一行だけが違う。未完だった曲が、ここだけ“光”を選ぶ。この最後の一行は、ソウタと再会したあとに書かれた可能性が高い。太陽は沈んでもまた昇る。カイは初めて、その“昇る未来”を信じたくなったのだ。理性では「離れないといけない」と思い込んでいても、心の奥底ではソウタ=太陽が必ずもう一度昇ることを信じたくて仕方がなかった。そして、ここにこそ ソウタへの絶対的な信頼 が宿っている。太陽は沈んでも消えない。雲に隠されても、必ずまた姿を見せる。カイにとってソウタはまさにその“必ず昇る太陽”だった。どれだけ自分を奪われても、何年離れていても——ソウタならきっと自分の想いに気づいてくれる。もう一度、迷わず自分を照らしてくれる。
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ソウタと再会してからのカイは、一見すると“去る準備”ばかりしている。カメラマンとしての契約を更新しない、ここでのライブは「最後」だと告げる——どれも「自分はここにはいられない」というメッセージに見えるだろう。しかし、それらは全部、理性が選んだ行動だった。
だが、本心はまるで逆の方向を向いていた。その証拠が、サンに告げた「失恋した」という言葉だ。カメラマンとしての契約を更新しない理由として、カイはサンに「失恋した」と告げる。本気で消えるなら、そんなことを言う必要はない。しかもソウタと繋がりのあるサンに伝えれば、それがソウタに届く可能性も高い。なのに伝えたのは、理性とは裏腹に“届けたい”という本音が無意識に溢れてしまったからではないか。離れようとする理性と、どうしてもソウタへ向かってしまう本能。その矛盾がはっきりと浮かび上がる。
そして何より象徴的なのが、部屋に残された「ソウタ」と書かれた太陽の写真だ。太陽はカイがずっと「大好きだ」と言い続けてきたもの。その太陽にソウタの名前を書き込むという行為は、言葉では伝えられなかった愛そのものだった。ソウタなら見つけてくれる。ソウタなら気づいてくれる。そう信じて残した、静かな“ラブレター”だった。消えようとする理性に逆らって、本心だけがそこに滲み出ていた。
6年間、カイにとって太陽は沈んだままだった。その時間の重さは、「戻ってきてくれるのか、俺の太陽」というセリフにそのまま滲んでいる。だが「LOVE SONG」は、最後だけ“朝”を選んで終わる。沈んだ太陽が、また昇る。隠れていても、必ずそこにある。カイにとってソウタは、再び昇ると信じたい“たったひとつの光”だった。
消えるように去ろうとしながら、本音ではずっと願っていた。
——もう一度、太陽が昇ってほしい。
——もう一度、ソウタに照らしてほしい。
それが、カイが“太陽”に込めていた本心だったのだ。




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