なぜ「好き」と言えなかったのか——ソウタ視点で読み解く『LOVE SONG』の感情の境界線

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ソウタにとって、カイへの感情は最初から“恋”と呼べるほど明確ではなかった。ただ一緒にいたくて、笑っていてほしくて——その特別さに気づくこともなく、日々を過ごしていた。だが、カイが突然いなくなったあの日、ソウタは初めてその曖昧さと向き合わされる。「言わなかった」後悔と、「言えなかった」痛み。奪われたことで初めて、その気持ちがどれほど大きかったかを知る。

本記事では、ソウタの視点から『LOVE SONG』を読み解き、なぜ彼は「好き」と言えなかったのか。ソウタにとって“親友”と“恋”の境界線とは何だったのか。その内面の軌跡を深く掘り下げていく。

ソウタが“恋”を自覚できなかった理由──無意識のリミッターとしての「同性」

ソウタ視点で『LOVE SONG』の世界を見ると、同性の恋愛は特別扱いされていないように見える。ワタルやトイといった同性を自然に好きになる人物が登場し、物語は“同性だから恋が阻まれる”という構造をほとんど持たない。だからこそ最初、私自身も“ソウタにとって同性かどうかは重要ではなく、彼の物語は恋心を自覚する成長の話だ”と感じていた。

だが、ソウタという人物を丁寧に見つめ直すと、その単純な解釈では収まらない複雑さが浮かび上がってくる。几帳面で、模範的で、慎重。正しいことと間違ったことを線引きして生きてきたタイプ。そういう人間にとって、“誰を好きになるか”というテーマは本来とても繊細で重い。

決定的なのは、ソウタがワタルへ向けて放った「君は男が好きなの?」という何気ない一言だ。あれはソウタにとって“男は女が好きである”という価値観が、ごく自然な基準になっている証でもある。つまり——“同性だから問題ではない”と無条件に受け入れていたわけではない。

しかし、ソウタが同性を恋愛対象にできないと強く思い込んでいたわけではないようにも感じる。むしろ彼の中で問題を複雑にしていたのは、“これが恋だと確信できなかった理由のひとつが、相手が同性だったから”という点にある。几帳面で模範的で、世の“正しさ”に敏感なソウタにとって、同性へ向かう特別な感情は、どこか“親友の延長”として処理されてしまいやすかった。

高校生の頃のソウタはもっと単純だった。カイの笑顔が嬉しくて、隣にいると落ち着いて、気づけば自分からキスをしていた。それは十分に“恋”と呼べる感情だったのに、本人はまだその意味を知らなかった。しかし大学生になると、そこに理性が追いつく。「曲が出来上がったら聴きたい。でも……ユキの次でいい。」この言葉の裏には、ただの遠慮ではなく、「自分がカイの隣に立てるはずがない」
という無意識の思い込みがある。

そしてその背景には、もうひとつ静かな前提があった。「同性なら親友であって恋ではないはず」ソウタにとって、同性だから“絶対に恋ではない”と強く思っていたわけではない。ただ、慎重で真面目な性格の中に、“もし恋だと認めてしまったら、もう後戻りできない”という恐れが潜んでいた。その恐れが、「親友に恋をするはずがない」というリミッターとなって働き、ソウタは自分の感情を曖昧にしていった。

それは偏見とは違う。むしろ、恋として受け止めてしまったら、もう後戻りできない——その怖さに蓋をするための無意識のリミッターだったのではないか。「自分がカイの“特別”になるはずがない」「この気持ちは恋ではなく、親友としての特別さだ」そう思い込もうとするほど、本当の気持ちは見えなくなっていく。曖昧で、名前のないまま積もっていった“特別”。大学時代のソウタは、恋だと気づかないまま、心のブレーキをかけ続けるしかなかったのではないか。

「好き」と言えなかった二つの理由——ソウタを縛った優しさと恐怖

カイが突然いなくなったあの日、ソウタは初めて、自分が抱えていた“特別な感情”の正体と向き合うことになる。「言わなかった後悔」と「言えなかった痛み」。奪われたことで初めて、その気持ちが“恋だったのだ”と気づく。ジンとの会話でも示されているように、6年の間にその感情が確かな恋だったと理解していた。そして再会したとき、ソウタは自分の気持ちをもう誤魔化せないほど自覚している。それでも——彼は再び“言わない”ことを選んでしまう。

その理由は、大きく分けて二つあるのではないか。

大学時代も再会後も、ソウタには一貫して変わらない想いがあった。「カイには、幸せになってほしい」だからソウタは、ずっとユキがカイの恋人だと思い込み続ける。視聴者にとってユキの存在は大きな意味を持たないが、ソウタには違う。自分より“カイの一番にふさわしい人”がいると思っていたからこそ——ソウタは自分の気持ちを差し出せなかった。自分が言ったら困らせてしまうかもしれない。自分が言ったら、カイの未来を奪ってしまうかもしれない。ソウタの優しさは、恋を進ませる力ではなく、恋を止める力として働いていた。

ソウタが抱えていたもうひとつの理由は、大学時代とはまったく別の種類の“怖さ”だった。再会した今のソウタには、「また突然いなくなるかもしれない」という恐怖が、静かに、しかし確実に心を締めつけている。カイが去った理由をソウタは知らない。6年間の空白も、ユキの存在も、スマイルとの距離感も、どれひとつ自分には見えてこない。再会して触れ合った夜があっても、そこにあるのは“確信”ではなく、むしろカイとのあいだに横たわる見えない壁 だった。

だからソウタは思う。もし想いを伝えてしまったら、また離れられてしまうのではないか。受け止めてもらえなかったら、今度こそ取り返しがつかないのではないか。かつての“自分の気持ちが分からないから言えない”とは全く違う。再会後のソウタを縛っていたのは、「自分の恋心」ではなく、「また失うかもしれない恐怖」と、カイの心に触れられない“壁”だった。

だからこそ、結ばれた夜の翌朝、ソウタは感情を爆発させたのではないか。お互いが想いあっていることが分かったのに、カイの本心に触れられないもどかしさ。いらつき。この気持ちをどうすることもできなかったのだ。そしてこの感情は、過去の喪失を経験したソウタだからこそ抱く、あまりにもリアルで切実な感情だった。

言えない痛みは、恋が深くなるほどに強くなる。あの夜——触れ合い、やっと心の奥に触れ合えたあの時間。その一瞬の温度が、ソウタには確かに“カイも自分を想ってくれていた”ことを教えてくれた。だからこそ、言えない。本当は言いたいのに、言ってしまえば壊れてしまうのではないかと恐れてしまう。優しさが止め、恐怖が縛り、恋が深まるほど「言えなさ」は強くなる。その複雑さこそが、「ソウタが好きと言えなかった理由」だったのではないか。

逃げない自分へ。再びタイへ向かったソウタが見つけた答え

カイを再び失う恐怖。そして、自分の想いをぶつけることでカイを傷つけたくないという不安。そのどちらもが、ソウタの喉を長い間締めつけてきた。再会できただけでも奇跡のような出来事だったのに、カイはまたいなくなってしまう。ソウタは“言えない自分”に逆戻りしたかのように見えた。

しかし——彼を動かしたのは、ヒカルのスマホから突然流れた、あの歌声だった。それはカイが6年間抱え続けた想いの告白そのものだった。音としてではなく、心として届いた“LOVE SONG”。ソウタは悟る。これはカイが自分に残した最後の言葉なのかもしれない。
ならば、自分も応えなければいけない。もう一度、きちんと。

自分の気持ちから逃げ続ける人生の方が、もっと怖い。あの日のように後悔に縛られたまま立ち止まる方が、ずっと苦しい。だからこそソウタは、初めて“選んで”動いた。再会という偶然に頼るのではなく、自分の足で未来を変えにいくという選択を。伝えたいから伝える。結果がどうであっても。答えがどうであっても。それは恋の告白ではなく、“人生の選択”だった。

カイとの再会後、ソウタはタイに再び来た理由のついて「探してるものが見つかる気がして」と答えている。これは単純にカイを探しているということではなく、自分がカイを好きだという事実を受け入れ、その気持ちを正面から伝えられる自分になりたい——そんな思いを含んでいるように思える。

タイへ行ったのは、カイに応えてほしいからではない。相手の返事とは関係なく、自分の真実を自分自身に誓うためだった。もう誰にも遠慮しない。自分の気持ちを自分で否定しない。何年経っても消えなかった想いを、ようやくまっすぐ差し出したかった。「カイの気持ちが分からないから言えない」から「カイがどう思っていても、自分は伝えたい」へ。——その小さな一歩が、恋ではなく “愛”へと移り変わった決定的な瞬間だった。

よしはらゆう

映画と韓国ドラマが大好き。普段は小さな新聞社で記者をしています。好きな映画のジャンルはスパイ映画、好きな監督はクリストファー・ノーラン。

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