「ただいま、かな。」──映画『ほどなく、お別れです』で漆原が選んだ言葉の意味

邦画

映画『ほどなく、お別れです』のラストで、ひとつの短い会話が交わされる。美空に「奥さんに会えたら、なんて言いますか?」と問われた漆原は、すぐに答えを出せず、迷いながらこう呟く。「……ただいま、かな。」なぜ漆原は、人生を大きく分けた喪失の先で、この言葉を選んだのか。本稿では、漆原が奥さんに言おうとした「ただいま」に込められた感情を手がかりに、彼が最後まで立ち続けていた“別れの手前”の場所を読み解いていく。

「ありがとう」でも「会いたかった」でもなく──漆原が選びかけた言葉

映画のラストで交わされる、美空と漆原の短い会話。「奥さんに会えたら、なんて言いますか?」その問いに対して、漆原は言葉を探すように間を置き、ふっと漏らすように口にする。

「……ただいま、かな。」

この答えは、どこかちぐはぐに聞こえる。再会の言葉として思い浮かびやすい「会いたかった」でもなく、長い時間を越えて伝えるべき「ありがとう」でもない。ましてや、後悔や謝罪を含んだ言葉でもない。「ただいま」というのは、あまりにも日常的で、あまりにも生活に根ざした言葉だ。

だからこそ、この一言は観る者の心に引っかかる。なぜ漆原は、人生を大きく分けた喪失の先で、そんな“いつもの帰宅”のような言葉を選びかけたのか。その理由は、漆原が作中で一貫して背負ってきた立場と深く結びついている。彼は葬儀プランナーとして、数えきれないほどの「別れ」を見届けてきた人物だ。遺族に寄り添い、式を整え、言葉を選び、区切りの瞬間を導く。その中で彼は何度も「ほどなく、お別れです」と告げてきた。

しかし漆原自身は、語っている。「自分はいまだに、区切りがつけられない遺族のままだ」と。この言葉が示しているのは、彼が“見送る側”のプロフェッショナルである一方で、自分自身の別れだけは完了していないという事実だ。奥さんを失った出来事は、過去の出来事として整理されたわけでも、乗り越えられたわけでもない。彼の中でそれは、終わった出来事ではなく、今も続いている状態として存在している。だから漆原にとって、奥さんは「見送った人」ではない。過去に別れを告げた存在でも、遠い世界へ旅立った誰かでもなく、今もなお自分の人生の“居場所”として心の中にあり続けている人なのだ。

「ただいま」という言葉は、本来どこかへ“帰ってきたとき”に使う言葉だ。外出から戻ったとき、仕事を終えた夜、あるいは長い旅のあとでもいい。そこには必ず、帰るべき場所と、迎えてくれる誰かの存在が前提としてある。漆原が思い浮かべた「ただいま」は、まさにその言葉だったのだろう。

彼は、妻を失ったあともずっと、帰れない場所を抱えたまま生きてきた。妻がいた家、妻がいた日常、何事もなかったかのようにドアを開け、「ただいま」と声をかけるはずだった時間。そのすべてが、事故の日を境に突然断ち切られてしまった。

それでも漆原は、あの日常を手放せずにいる。今もなお、帰りたいと思っている。過去をやり直したいというよりも、あの時間が“続いている世界”に戻りたいという感覚に近いのかもしれない。そしてその想いは、妻がこの世にいるか、すでに別の世界にいるかという事実とは、実はあまり関係がないようにも思える。

漆原にとって「帰る」ということは、相手の居場所を確かめることではなく、つながりがまだ終わっていないと信じるための行為だったのだのではないだろうか。だから彼は、再会の言葉ではなく、「ただいま」を思い浮かべた。それは、もう戻れないと分かっていても、なお手放せない日常への願いであり、妻がどこにいようとも変わらない、彼の中に残り続けている居場所への呼びかけだった。

区切りを渡す仕事と、区切れない人生──「ただいま」が示す別れの手前

「ただいま」という言葉は、ひとりでは成立しない。必ずその先に、「おかえり」という返答が想定されている。けれど漆原には、もう戻る場所がない。だからこそ、「ただいま」を思い浮かべること自体が、彼にとっては痛みを伴う行為だったはずだ。想像することすら、きっと辛かった。そんな漆原が、「ただいま」と口にしたこと。そのこと自体が、漆原にとっては、立ち止まり続けていた場所から、わずかに前へ進めた証だったのではないだろうか。

さらに、漆原は続けて、「違うか…ずっと考えるよ、その時まで」と口にする。この言葉は、逃げでも先延ばしでもない。むしろそれは、彼なりの決意の表れのようにも聞こえる。今の漆原が思い浮かべられる言葉は、「ただいま」だけだ。それ以上の言葉を、まだ持てない。けれど彼は、「次に会えるまで」という時間を、初めて未来として語った。それは、ずっと自分を縛ってきた“区切りのつけられない遺族”という立場から、ほんの一歩でも進もうとする意思ではなかっただろうか。取り残されたまま立ち尽くすのではなく、いつかもう一度会うその日までに、少しだけ違う自分でいたい。そのための言葉を、今はまだ探している——そう受け取ることもできる。

漆原に変化をもたらしたのは、美空の言葉だった。美空は、「ほどなく、お別れです」という言葉を、別の意味で受け取り直す。それは「永遠の別れ」ではなく、「向こうの世界でまた会えるまで、ちょっとの間のお別れ」だという解釈だ。「ほどなく、お別れ」とは、終わらせることではなく、続いていく時間を信じるための一歩なのだと、美空は示してみせる。

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だからこそ、漆原は初めて「ただいま」という言葉を思い浮かべることができた。それは、すべてを乗り越えた証でも、完全に癒えた証でもない。むしろ、まだ答えを持たないまま、「会える時までに考えておく」と言うしかない、不完全な状態だ。だがその不完全さこそが、この物語の誠実さでもある。漆原は最後まで、「区切りをつけた人」にはならない。「ただいま」と言えるかどうかは、まだわからない。けれど、いつかその言葉を口にする日が来るかもしれないと、初めて思えた。それは、別れを終わらせることではなく、別れとともに生きていく覚悟の芽生えだったのではないだろうか。『ほどなく、お別れです』が描いたのは、きれいな区切りの物語ではない。区切れないまま立ち止まり続けた人が、それでも一歩前に進もうとする、その瞬間の物語だった。

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