映画『ほどなく、お別れです』で、漆原が美空を強くスカウトする場面は、どこか心に残る。常に冷静で、感情を大きく揺らさない彼が、なぜあの瞬間だけは熱を帯びていたのか。美空の“力”は、単なる仕事上の可能性だったのか、それとも別の意味を持っていたのか。本稿では、二人の出会いからその熱の正体を読み解いていく。
美空との出会いが、漆原の“別れ”を変えた
亡くなった人と会話できる──美空が持つ不思議な能力だ。
物語は、妊娠中の妻を突然失った夫の葬儀の場面から始まる。喪主であるはずの夫は深いショックの中にあり、とても儀式を務められる状態ではない。式場には、言葉にならない悲しみが重く漂っている。
漆原にとって、葬儀とは「残された人のための時間」だった。どれほど取り乱していても、どれほど整理がついていなくても、その人が少しでも前を向くための区切りを整える。それが葬祭プランナーの役割だと、彼は信じている。
その最中だった。突然、美空が話しかけてくる。「綺麗な女性が、ベージュのバッグを棺に入れてほしいと言っています」
その女性とは、亡くなった、喪主の妻だった。夫と前日に詰めた、おむつバッグ。生まれてくるはずだった子どものためのもの。それを棺に入れてほしい、と。
漆原にとって、その瞬間は大きな転換点だったのではないか。これまで彼の中で、葬儀は“残された者”のための儀式だった。自分自身もまた、残された側だったからだ。
別れとは、遺族が受け入れるための時間。
前を向くための合図。
だがこの出来事は、別の視点を差し出す。葬儀は、逝った人にとってもまた、お別れの儀式なのではないか。もし、亡くなった人にも伝えたい想いがあるのなら。もし、逝く側にも区切りが必要なのだとしたら。
葬儀は、残された者だけの時間ではなくなる。美空が告げた言葉によって、あの夫がわずかに変わったことを、彼は見逃さなかったはずだ。
バッグを棺に入れたとき、
夫はただ崩れ落ちるのではなく、
確かに「送り出す」という行為を選んだ。
もし、逝った人の想いまで汲み取ることができるのなら。葬儀を、残された人にも、逝った人にも納得のいく時間にできるのなら。それは、遺族にとっても、ほんのわずかだが前に進むきっかけになるのではないか。
この出会いは、漆原の仕事観を根底から覆したわけではないかもしれない。だが、「別れは一方向のものではない」という視点が加わった。そしてその視点を体現していたのが、美空だった。
漆原が彼女を必要とした理由は、単なる能力への期待ではない。葬儀を、より誠実な時間にするため。残された人にも、逝った人にも、区切りを与えるため。
あの出会いの瞬間、彼は初めて、別れを“両側から見る”可能性に触れたのかもしれない。
“終わりではない”と信じたかった、その熱の正体
葬儀を両側から見る可能性。だが、漆原があれほどまでに美空を熱くスカウトした理由は、それだけだったのだろうか。そこには、職業的判断だけでは説明できない、漆原自身の切実な思いが込められていたようにも感じられる。
死とは、完全な断絶なのか。もし、違うのだとしたら――もし、逝った人の想いもまた、そこに存在しているのだとしたら。その可能性は、漆原にとって仕事の革新であると同時に、自分自身の“別れ”を捉え直す契機でもあった。だからこそ、彼は冷静ではいられなかったのではないか。
いつも冷静な漆原が、美空をスカウトしようとしたあの場面だけは、少し違っていた。普段の彼なら、淡々と状況を整理し、合理的に判断するはずだ。しかしあのときの漆原は、明らかに熱を帯びている。
「あなたをスカウトします」
その言葉には、単なる人材確保以上の切実さがあった。なぜ、あれほどまでに彼は美空を熱くスカウトしたのか。
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美空の力は、葬儀をよりよいものにする可能性を持っている。それは間違いない。美空がいれば、亡くなった人の想いを汲み取り、遺族にとって後悔の少ない別れをつくることができるかもしれない。
しかし、あのとき漆原が見せた熱量は、“仕事のため”という言葉だけでは説明しきれない。漆原は、自分が遺族であることを忘れていない。妻を失った経験は、彼の奥底に静かに横たわっている。
死んだら、すべて終わりなのか。もう二度と、存在を感じることはできないのか。もしそうだとしたら、別れはあまりにも残酷だ。けれど、美空の存在は、“終わりではないかもしれない”という可能性を示していた。
亡くなった人の想いは、消えていない。形を変えて、残っている。漆原が美空を必要としたのは、葬儀を奇跡に変えるためではない。しかし、もし、死んだあとも想いが続いているのだとしたら――自分もまた、妻と完全に切り離されているわけではない。
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それは未練ではない。過去に縋る衝動でもない。
ただ、
“終わりではない”と感じられるなら、
人は悲しみを抱えたままでも歩き出せる。
あのスカウトの熱は、その可能性に触れた瞬間の揺れだったのかもしれない。仕事として必要だった。だが同時に、そこには漆原自身の静かな願いも、滲んでいたのではないか。
終わりではないと信じたい。
存在は残り続けると感じたい。
だから彼は、美空を選んだ。
その選択は、葬祭プランナーとしての決断でありながら、ひとりの遺族としての小さな希望でもあった。


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